3月11日撮影
前掲の写真の対岸。地域医療センターの高台より。
三年前に同じ場所から撮影。
復興事業の進捗で状況は大きく変化しています。
左下の慰霊碑は、ここで亡くなった銀行職員の遺族が建立したものです。
三年前の写真には転倒した「江島共済会館」の右奥に小さく写っています。
現場が立ち入り禁止になり、手前側に移されました。
詳しくは「七十七銀行女川支店 津波」などで検索してください。
地域医療センターの高台を旧市街地側から見上げたものです。
高台に上がる階段が見えています。上下二つありますが下側の手摺りに津波の痕跡が残っています。
繰り返しますが、大人の脚では二、三分もあれば避難可能であったことが、この写真から理解できるでしょう。
この地に津波が到達するまでは、本震後少なくとも30分以上の猶予がありました。否、現実は・・・です。
高台を駅側から見ています。横断幕の通り、この町の背負った未来の重さは計り知れない。